インターネットでの情報発信において、各人が自由な情報発信が行えることが望まれるが、他方、何でも発信してよいというものではなく、いくつかの制約もある。インターネットであっても現実社会の法令によって拘束を受けるのは当然のことあるが、違法ではないが児童生徒にとって有害となる情報の発信や個人情報の掲載など安全保障上問題となる情報発信を「自粛」するなどその他の足かせとなる制約がある。
特に学校サイトにおいて、有害情報や児童生徒の写真など個人情報の掲載について問題視する声もあるが、自由な表現、情報流通による教育的効果も大きいので、安全と自由のどちらを優先すべきかで現場教員の間でも議論が巻き起こっている。ここでは、安全と自由を両立させ、制約を最小限にとどめて自由に情報発信をするためのいくつかの方策について提案する。
自由な情報発信の障害となるものとしては、有害情報と個人情報の2つが特に大きな問題となる。
わいせつな画像をはじめとした児童生徒にとって有害な情報の流通に制約を課すべきだという意見がインターネット特にWorld Wide Webの普及につれて多くなってきた。現実社会においても同様の問題はあるが、インターネットの場合、他の有益な情報と何ら区別なく同質のものとして陳列されていることが特徴で、大人の監督なしに子供に自由にアクセスさせる上での障害となっている。ただ、インターネットでは技術手段により選択的な受信情報のフィルタリングが可能なため、現実社会では重要な対応策となるモラルの啓蒙や教育など、時間のかかる人為的行為を伴わずに迅速に対応できる利点もある。
フィルタリングの技術手段としては、クライアントで規制するParential Control Softwareと呼ばれる一群の市販商品による方法、Proxyサーバで規制する方法、WWWサーバとクライアントの連携で規制するPICS(Platform for Internet Content Selection)がある。これらは、URLのリストやWWWコンテンツに付加するラベル情報によって、事前に受信側で設定した規制レベルでアクセス制限が可能である。
ただし、万能ではなく、最終的なゴールとなる解決策とはいえない。たとえば、アメリカのCDA(the Communications Decency Act of 1996)法が連邦地方裁判所で執行停止判決を受けた際の判決理由では、法でいう年齢に応じたアクセス規制について、現段階ではアクセスする者の年齢を特定する手段はなく現実性がないため表現の自由への侵害を回避できないといった点が指摘されている。
東京都下の区立小学校で担任教師の個人ホームページに学級生徒の写真や作品を掲載したことについて区教育委員会から削除命令を受けた事件を発端とし、学校における個人情報掲載の是非を問う議論が1996年11月末から全国の教育関係メーリングリストを賑わせた。一部マスコミ報道でも取り上げられて現実社会にも波紋を投げたほか、個人情報保護条例との関連など、現在もなお議論が続いている。
同様の事件が同じく1996年にオーストラリア首都地区でも起き訴訟問題に発展した結果、同地区の学校サイトでのすべての生徒教師保護者の個人情報の削除が命じられている。もともとこの地区の学校ネットワークには個人情報掲載時には生徒保護者の承諾を得るという利用規定が定められていたが、軽視する教員が多く、そのうちの一人がまったく無断で個人情報を掲載するという暴挙をしたため訴訟に発展し、社会問題化した結果であると伝聞している。
また、アメリカにおいては多くの学校では個人情報の掲載はしておらず、掲載する場合でも、事前の承諾、最小限の掲載(フルネームは避けてファーストネームに限定するなど)に留める措置を講じているようである。
上記の例のような規制や自粛で確かに安全は図れるが、他方、児童生徒が自ら望んで情報発信することも規制してしまったり、情報発信に付随するさまざまな教育効果を台無しにしてしまうおそれもある。たとえ未成年であっても情報発信の規制は表現・公表の自由の侵害にあたり、「児童の人権に関する条約」に反しているとも解釈されるが、安全を優先する立場から規制を望む声は大きい。
情報発信において想定される教育効果としては以下のようなものがある。
このように,危険とは主として現実社会における危険を反映したものであり,交通事故が無くならないのと同様、犯罪のない100%の社会的安全保障は今後も望めないから,個人情報を公開する限り危険を100%回避することはできないものと考えるのが妥当であろう。したがって安易な回避策としては個人情報は掲載しないのが最も安全であるということになるが、表現の自由という基本的な人権が制約される状態は正常ではないだろう。
このような矛盾を解決するため、安全に情報を公開する方策があれば良いのではないかと考え、いくつかの方策を考案したので提案したい。
インターネットに関わる犯罪的問題の多くは、ネットワーク人格のもつ匿名性に由来している。誰がいつどこで何をしたかを完全に特定する手段がなく、システムに詳しい者が悪用すれば容易に匿名のアクセスができてしまう。必要な場合には匿名性を回避することができれば、犯罪が起きた場合に犯人を容易に遡及できるから、犯罪抑止効果に役立つだろう。
一方、自由な発言を行うために匿名性が必要な場合もある。その目的には匿名で意見を公表できる場があればよく、現在のネットワークではほとんどがそのような場となっているので特に方策は必要ないものと思われる。
もう一方の、必要な場合に個人が特定できる方法について考案したのが、
個人認証サービス(電子住民票データベース)の設立である。
現実社会において個人を認証する手段として用いられている住民票を電子社会にも導入する方法である。自治体が保有する住民票データをもとに公的なデータベースサービスとして実施するようなことを想定する。
保安のため個人認証を求める情報サービス(学校WWW等)に、ある人物(外部ユーザ)がアクセスする際に、自己の電子住民票照合キー(電子住民票データベースから個人の特定が可能となる)を提示することにし、情報サービスでは電子住民票キーの提示があり電子住民票データベースから認証が得られたユーザのみにアクセスを許すという方法である。
もちろん、情報閲覧者たるユーザ側の個人情報が情報サービス側に洩れることがないように逆方向の配慮も必要である。ユーザ側の個人情報を保護するためには、ユーザ自身の匿名性を確保する必要があるが、電子住民票データベース側で一括して個人情報を秘匿し、閲覧時に情報サービス提供者に提示されたキーからは、閲覧希望の人物個人が電子住民票データベースに存在するかどうかの情報のみを返すことにすれば、情報サービスがユーザの個人情報を知ることができない。
そして、万一掲示情報の不正利用といった事件が起こった時には、保存しておいた電子住民票キーから犯人を特定し遡及することが可能になるようにしておく。この遡及可能性に伴う犯罪抑止効果によって安全を保つというのが主眼である。不正利用の常習者については電子住民票キーの利用の停止や取り消しをするなどの罰則によってネットワーク社会から隔離することも可能だ。
CDA法の裁判でアクセス者の年齢の特定が1つの争点となったことにも関連して、ユーザの年齢情報を必要とする場面にも電子住民票データベースは対応できる。情報サービスからの認証要求に対して当該ユーザの年齢を返すようにすれば、一定年齢範囲のみにアクセスを許す情報閲覧制限が厳密に行えるようになる。これは、児童生徒間交流や有害情報のアクセス制限の点でも有益である。
ただし、このような個人認証データベースサービスが公的なサービスとして開始できるまでには世論形成が必要で、まだ時間を要すると思われるので、現時点で現実的な方法というわけではない。
だが、インターネットにおける個人の安全を確保する上で、最も抜本的な解決につながる方策であると考える。
念を押すが、これは匿名性を否定するものではなく、必要な場合に限って匿名アクセスを制限し個人を認証できる方策を提供するものであるということに留意しておいていただきたい。
専用(プライベート)ネットワークといっても、物理的に専用の配線を用意する必要はなく、バーチャル(仮想的)プライベートで十分である。これは、交信にインターネット標準のTCP/IP以外の専用プロトコルを使用して、それを一時的にインターネットプロトコルにカプセル化(配送時にはTCP/IPのパケットで包み込む)してネットワークに載せ、受信側で元の専用プロトコルに変換してからデータを解読する方式で、現時点でもMboneやIPv6といった新技術の実験に使われている方法である。
自由度と安全性の両面で方法1:には劣るが、全国的な世論の合意は必ずしも必要とはせず、当該専用ネットワーク自体で利用規程を定め、内部利用者の認証を行うことですぐにサービスを開始することができ、現実的な解決策の1つである。ただし、専用ネットを運営する中継センターの設立などインフラ面の整備も必要となるため、特に学校教育において専用ネットワークを構築するには行政側の主導もしくは援助が不可欠となる。